いきなりですが私は近頃、心の底からセミの様になりたいと考えています。
セミはとにかくうるさくて、恋人を見つけるという目標のために1週間死ぬ気で叫び続けます。
なので私も、大きな声で自信を持って、死ぬ直前まで努力したいと思います。
私がこのように思ったのは、「終わり」を意識し始めたからです。
物事には、必ず「終わり」があります。
例えば自分が今までで一番本気に取り組んできた高校陸上は3年の月日が経つと不可抗力で引退しなければなりません。
楽しい学生生活にも、就職活動にも、人生にも終わりがあります。
どんな事象も最終的には終わるのです。
私が「終わり」を意識し出したのは、紛れもなく就職活動がきっかけです。
就職活動の醍醐味は「自分と向き合うこと」にあると思います。
今までの自分を振り返ってみると、「終わり」があるからこそ頑張れていることに気がつきました。
また、就職活動を通して将来について考えた時、『どうせ「終わり」が見えている人生の中での自分の願望(大切な人を幸せにする)って凄く小さくないか?』って思いました。
「できるだけいい結果で終わりたい」
これは誰しもが思っている事だと思います。
だから私はその想いを素直に「自分の大切な人を最大限に幸せにする」という願望を持ちました。
この最大限には、「大切な人が望むことを、なんでも叶えよう」という思いが混じっています。
この想いは「終わり」を意識する事が出来なければ持てなかった想いです。
私が大切な人を幸せにしようが、最大限幸せにしようが、大切にしまいが、どうせ「終わり」が来るんです。
それならとことん自分の想いのままに生きようじゃないかと思っています。
ただ、どうせ終わるのだけども、私は「大切な人を最大限幸せにする」ということは何がなんでも達成したいと考えています。
そこでセミのように生きたいという風に考えています。
セミは1週間しかない命を「恋人を見つける」という目標のために使い果たします。
でも人間が1週間本気で「ミーンミンミンミンミン」と大声を出し続けたら確実に死にます。
ただ人間はそこまで本気になる事が出来ない生き物です。
逆に言えば、そこまで本気になれた時の自分ってめちゃくちゃ期待できませんか?
だからこそ私はセミのように生きたい。
今日から「大切な人を最大限幸せにする」為に叫び続けようと思います。